季節のイベント情報

季節のイベントについてかこうとおもいます。

麒麟が来る 斎藤道三のその後とは? 織田信秀とは?



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もくじ

 

 

 

斎藤道三のその後とは?

 


麒麟が来るみました。

 


もっくんの斎藤道三役、
気品があり、かっこよかったです。
あまり、ずるがしこい感じがしませんでした。

 

 

斎藤道三は、

美濃のマムシと呼ばれ、
明智光秀と同様、

なぞの多い人物ですね。

 


僧侶から油商人になり、
ついには、

戦国大名までのし上がりました。

 


権謀術数を用い、
道三は美濃の戦国領主として

1554年まで君臨した後、
息子 斎藤義龍家督を譲ったんですが、
ほどなくして義龍と義絶し

1556年4月に長良川河畔で義龍軍に敗れ、
討ち死にしてしまいます。

 


義理の息子 織田信長が、

かたきを討とうと何度も斎藤義龍
居城 稲葉山城を攻めるんですが、

うまくいきませんでした。

 


斎藤義龍の長男 龍興の代になって、
竹中半兵衛のおかげで、

稲葉山城の占拠に成功して、
岐阜城と改めます。

 


織田信秀とは?

 

 

織田信長の父で、智勇に優れた武将で、
守護代二家のうちの大和守家下の庶流という

低い地位から尾張各地、

 

 

そして一時は西三河まで支配し

尾張国を代表する勢力となり、
信長の飛躍の基盤を作りました。

 


織田信長の能力を

早くから見抜いていました。

 


若いころの織田信長

うつけとよばれていたんですが、
長老衆や周囲の悪評の高い信長に那古野城を譲り、
その後も一貫して自らの後継者に据え続けており、
親子の間には信頼関係があったと思われます。

 

 

斎藤道三とは、何度かいくさをしたんですが、
勝てなかったみたいですね。

 

 

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